謝恩会で
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作成日時 : 2008/03/18 00:45
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卒業式では、ことしから卒業証書授与のときに、各学科の4年担任が卒業生の呼名をすることになりました。建築システム工学科は最後なので、壇上の席で待っているのが苦痛でした。卒業生リストには、ひらがなで氏名が記述されていますが、呼び間違ってはいけないと思っていると間違えそうです。いよいよ建築システム工学科の順番が来て、私は舞台の端に立って、名前を呼んで行きます。校長が卒業証書を一人ずつ手渡して握手をするので、次の名前を呼ぶタイミングを見計らう必要があります。結構神経を使う仕事なのです。
謝恩会の会場は立川のパレスホテルなので、橋本駅から京王線で多摩センターに出て、多摩モノレールに乗り換えました。多摩丘陵を縫うようにして空中を進み、立川北駅で下車します。立川駅北口周辺は、ペデストリアンデッキが長々と延びているので、ここでも宙空を歩きながら、パレスホテルまで達します。遠藤君と川福君が卒業設計で考えた”Rambling City”の構想は、この発展形なのでしょう。
謝恩会では、スーツ姿の男子学生や袴からドレスに着替えた女子学生が普段と見違える雰囲気をしています。そのため、誰だかわかるまでに数秒かかることもあります。学科主任の挨拶に続いて、4年担任の私が挨拶をしました。卒業と修了のお祝いを述べてから、「変な話」をしました。
昔、中国のセチュアンという町にシェンテさんという善人がいました。神様から宿料としてもらったお金で煙草屋を開業するのですが、近所の人間が金や物を借りに来るので、儲けたお金はすぐになくなります。シェンテさんには恋人ができて、お腹に赤ちゃんがいることに気がつきますが、相変わらず人のいいシェンテさんはお金を困っている人に貸してしまいます。シェンテさんは、この状態で子供を育てることができるのだろうかと悩みます。そのうち、シェンテさんは町から姿を消します。しばらくして、シュイタという男がやって来ます。彼は悪人で、煙草工場を経営しては、町の人をこき使って大儲けします。そのうち、酷使されている町の人々は善人のシェンテさんを思い出します。きっと、シュイタがシェンテさんを殺害したに違いないと、シュイタを裁判所に訴えます。法廷でシュイタの仮面を剥がしてみると、仮面の下から現れたのはシェンテさんでした。
この社会では、善人として生きていくことは難しいのです。しかし、皆さんにはぜひ善意を失わないでほしい、そして善意を貫くためのしたたかさと、したたかさを維持するためのユーモアの精神を持って欲しいと私は願いました。このストーリーは、ベルトルト・ブレヒトの戯曲「セチュアンの善人」のあらすじです。彼は社会主義を信奉していたので、資本主義社会では善人は生きていけない、子供を育てるには悪人にならなくてはならないという矛盾を投げかけたのです。しかし、この矛盾はどんな社会にも言えることではないでしょうか?善意としたたかさとユーモアを維持したいものです。
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